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みえないものを、みる視点。

ラーニングフルエイジングとは何か

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新刊「ラーニングフルエイジングとは何か—超高齢化社会における学びの可能性」,編著者の森さんからご恵投いただきました.ありがとうございます.

本のコンセプトは,

死ぬまで学び続け成長する存在として高齢者を位置づけ、高齢者特有の学習課題に焦点を当てる。そして、多様な高齢者像の視点に立ちながら、高齢者の学習にはどのような方法をとりうるか、国内外の豊富な取材事例と、研究者・実務家との領域横断的な議論によって探り出す。

とのことで,森さんが創り出した"ラーニングフルエイジング"という新しい概念について,さまざまな分野の専門家が参加して多角的な議論を行っている.学校の外において,人間は加齢と共に如何に学んでいくのかについて,クリアな軸が通っているところがさすがだが,特に誰もがいずれ考えなくてはならない「死への向き合い方」まで踏みこんでいるところが素晴らしい.

人が死を意識するとき,それは生きる意味を考える良い機会ではないでしょうか.しかし,人という目線だけで,あるいは宗教や従来の哲学で,人は生きる意味を見出すことができるのであろうか.私には自然科学が証明してきた真実を無視した物語では生きる意味を見出すことは出来ない.<中略>

人という個体から遺伝子に目線を移すと,私は「人はなぜ死ぬのか」という問いの答えをはっきりと感じ取ることが出来る.

第5章「がんと生きる」岩瀬哲 pp.94

 

ところで,実はこの本,僕もほんのちょっとだけ取材に協力したことを思い出した.森さんがコペンハーゲンまでGive&Takeプロジェクトの調査に来られたので,代表者のLoneへのインタビューをセッティングしたのだ.取材されたことは,「多世代共創社会に向けたワークショップ」(森さん執筆の第10章)の海外の実践事例部分として紹介されている.Loneたちの取り組んでいた考え方や方法が.日本語の書籍に残ったのは嬉しいことである.忙しいLoneがたっぷり時間取って対応してくれたことは僕としてもとても有り難かった.

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 Loneに取材する森さん(2015.11.6 IT University of Copenhagenにて)

 

共著で本を書くと,どうしてもまとまりが悪くなりがちだ.でもこの本では軸となるコンセプトを明確に打ち出していることで,逆に共著の長所として議論の幅の広さが生まれていることがよくわかる.情報を編集する視点として勉強になった.まだ時間がとれずちゃんと読めてないが,他の章も読み込んでみたい.

 

ギブすることから始まる

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3/26(日),調布のこども食堂に行ってきた.最近こども食堂が急速にあちこちで広がっていて関心をもっていたが,なかなか行く機会がなかった.場所は京王線布田駅近くの公民館のようなところ.

 

15時半頃に開始.こどもたちが徐々に集まり始める.雨ということで(?)スクリーンを使ってDVD上映.

 

その間に,ボランティアのみなさんが調理開始.みなさんで手分けしていろいろ凝ったトッピングをつくっているが・・.

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なんと,いろんな動物の形で盛りつけされている!

ずいぶんかわいいカレーができた.こどもたちも大喜び.

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こどもは無料.おかわりして腹一杯食べられる.小さい子にはボランティアのおばあちゃんが会話しながら一緒に食べている.

 

多世代が交わるコミュニティがとても興味深かったので,一気に取材モードに.主催者の方々にいろいろ聞き込んだのでメモ.

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・こども食堂の発祥時の定義は,「こども食堂とは、こどもが一人でも安心して来られる無料または低額の食堂」。 だが,普及していくにしたがって今ではさまざまなスタイルがあり,10箇所有ればたぶん10箇所ともやっていることは異なるのではないか,とのこと.紹介して頂いた記事(湯浅誠氏)によると,大きく「共生型」と「ケア型」の類型がある.

news.yahoo.co.jp

・こども食堂のノウハウを広めるために,草の根的にネットワーク化されていて,全国の運営者たちによってこども食堂サミットってのも開催されている.

 

・ちょうふこども食堂は,「居酒屋はまどおり」の店長,T氏によって昨年から始められた.月一開催ペースの開催で,この日で11回目.約1年続いていることになる.

 

・T氏は震災を機に会社を辞め,福島の食材を応援するための「居酒屋はまどおり」を開店.さらにその売り上げをなんとかして地域社会に還元できないか,を考えている折に,こども食堂のことを知り,はじめてみることにした.

 

・最初は自分の店でやっていたが,だんだんこどもたちが集まりすぎて入りきれなくなったので,近所の公民館を借りて運営することに.食材や調理場所は店のものを流用するなどして費用は一回の開催経費は1万程度.(そのうち,公民館を借りるのに数千円かかっている)

 

・こども食堂は,T氏のほか,お店の常連で主旨に共鳴したO氏,お店でアルバイトしていたSさんを中心にしたコミュニティで運営.なんとSさんは専大の学生.彼女経由で手伝いにきていた学生数名はみんな専大生(!).

 

・こども食堂を続けているうちに,「力になりたい」という高齢者の方もたくさん現れ,子供・大学生・高齢者など,自然に多世代交流の場になってきた.親子でボランティア参加している例も.こどもたちのリピート率は高い.

 

・ボランタリーな組織で持続性をつくるのはとても難しいし凄いことなのだが,出来る範囲ということを意識していて,無理なことは絶対にしないからこそ続けられている,とのこと.

 

・食に関わるリスク回避の声にはどう対処しているのか,という質問には,店で安全に調理していることをアピールするとともに,アレルギー対策は申込時にしっかりしている.アレルギーのある子には別メニューをつくたりもしている.それ以上のネガティブな意見には「どこかで押し切るしかない」.

 

・なんで居酒屋にそんなコミュニティがうまれるんだろ,と不思議だったが,「はまどおり」は店の成り立ちから福島の復興支援という名目があるので,そういう社会性に感度の高いお客さんが自然に集まるようだ.

 

・お店でもお客さんからこども食堂の運営の寄付があつまっているそう.例えばワリカンを切りの良い数字にしておつりを寄付に回す,というのは気軽にできそうですよね,と僕が思いつきのアイデアを言ったら,そんなことをしなくても「これ,こども食堂につかってください」とポンと寄付してくださることもあるようだ.寄付する側としても,使途がよくわからないものにはイメージがわかないが,目の前の人が実践している活動であれば応援したい気持ちもより自然に湧いてくるのだろう.

 

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一通りお聞きしてみて,コミュニティの源流が,T氏の自発的な思いから始まっていることがとても印象に残った.本人は「そんなに難しくない,だれでもできますよ」と謙遜していたが,最初に行動し,動きを作ること,それが難しいのだと思う.最近デザインと「贈与」の意味をずっと考えていたのだが,肩肘張らないT氏の活動はいろいろと示唆的だった.まず自分がギブすることで,何かが始まり,人と人の関係が生まれていくのである.

Adam Grantのgiverの話を思い出した.

 

 

 

あたりまえのことを別次元にすること

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妻がバルミューダトースターを入手した.本当に話題ほどの価値が有るのか半信半疑だったが,実際に食べてみると・・・・たしかに素晴らしい.おかげで最近はすっかりトースト好きになってしまった.

このトースターで焼くときには少量の水(5cc)を入れるのだが,水蒸気を利用して表面のサクサク感をつくっているという.また焼くときの温度もマイコン制御しているらしい.熱が一定ではなく,3分の間でヒーターは何度も点いたり消えたりを繰り返している.

weekly.ascii.jp

一般的には家電は既に成熟しているマーケットであるし,もうあらかた試された末に枯れているように見えるが,意外に進化しつづけている.例えば洗濯機は「服を洗う」という基本的な機能はそのまま,二層式から一層式になって全自動になって,乾燥機付いて,縦型になって・・・,その時その時の使い手としては「もうこれで十分便利だろう」と思っていても,いつのまにか進化している.そしてまだまだ先はあるもので,最近では手のひらサイズの洗濯機なんていうイノベーティブなものが生みだされたりもしている.

 

トースターもとっくに枯れている家電かと思っていたが,ただのトースターがこれほど別次元の体験になるとは思わなかった.

IoTでネットに繋がってどうのこうの,という余計な機能を持つようになるよりも,「トーストを美味しく焼く」という基本的なことを高いレベルでやってくれる家電を持つ方が幸せになれる気がするな.

 

発想のためのツールは,捉え方次第.

 ちょっと気になる記事を読んだので,本人に読んでもらうために書いてみます.

東工大エンジニアリングデザインプロジェクトを指導されている角氏による,ブレストや親和図法(KJ法A型)ではいいアイデアが思い付かない,という記事.

私はいずれに対しても(めちゃくちゃ)懐疑的です。使っていないわけではないのですが、使ってもいまいち感が残るというか、まるでうまくできる感じがしないのです。こんなのでいいアイデアなんか思いつくはずがない。

いいアイデアなんか思いつくはずがない – 東京工業大学エンジニアリングデザインプロジェクト – Medium

 

ブレストのような発散技法も,親和図法のような収束技法も,表面的に見えていること(例えばポストイットやその上の文字)は一部分に過ぎません.解決策として書かれていることは対処としてはアリだと思いますが,その前に,背後にある活動の原理をどのように捉えるかによって,「基本」とされていることの見え方は変ってきます.

以前書いた原稿から「インプロと発想」の部分を切り出して掲載してみます.陳腐に見えるブレストの4つのルールにも,捉え方次第で裏に隠れているとても大事なこと(=コツ)が見つけられるのではないか,というのが僕の考えです.

 

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4. インプロと発想

発言の狙いを外したり,失敗したりして他人から蔑まれることは誰もが避けたいものであり,インプロの開始当初の動きは恐怖心が勝ってしまうため,ぎこちないことが多い.しかし,身体がほぐれてゲームが進んで行くにつれて,失敗を許容する雰囲気が自然発生的にうまれ,参加者達は自分を防衛する必要がないことに心を許しはじめるようになっていく.徐々にゲームの中でのやりとりは速度としなやかさが増し,発話には自然な意外性が多く含まれるようになっていく.

 

インプロのゲームには,集団で発想していく際の本質的なことが豊富に埋め込まれている.グループでの相互作用のダイナミズムの中で,発想が生まれるために必要な条件やセットアップしておくべきことが体験的に学べていく,という点において大変興味深い.

 

例えば,最もポピュラーな発想法であるブレーンストーミングは,簡潔な4つの原則で知られている.いわゆる,「1.自由奔放,2.批判厳禁,3.質より量,4便乗発展」である.誰でも理解できるレベルの言葉であるがゆえに,なぜこの言葉が原則として掲げられているのかピンと来ない人も多い.しかしながら,この4つの原則の意味するところの本当の深さは,インプロ体験を通して初めて理解することができると思われる.このキーワードをひとつずつ解釈してみよう.

 

 初めに,自由奔放について.「自由に発言せよ」と言われたところで意識的にそれが出来る人はほとんどいない.すなわち,自由になるためには他人に対しての遠慮や自尊心,恐怖心など自分の周辺にあるさまざまな束縛からまず自己を解放しなくてはならないわけである.そして自己を解放するためには,どんなものであろうと許され,認められるようなポジティブな雰囲気が不可欠となる.

 

 そんな条件を揃えた場がお膳立てされることは非常に難しいことであるが,不思議なことにインプロのゲームの場の中では,ごく自然に,ごく当たり前にそれらが形成されていく.仮にジョークが寒くても所詮ゲームの中なのだし,失敗はお互い様,とどんな発言でも受け入れて笑顔で反応することが,相互に許容し合うというメッセージをメンバー全員が身体から発することになり,結果的に自由奔放を支える状況を形成するわけである.

 

 そして次に「批判しない」.そのためには,聞いた瞬間に自分の評価軸だけで良し悪しを判断することを止めなければならない.が,これも即座に出来る人は少ない.評価してしまうことが癖になっていればいるほど,思ったことはついつい言わずにいられないものである.しかし,これも会話の主客が転換する体験を持てば,大きく視点は変わるだろう.

 

 YES&YEAHゲームでは,どんな突拍子もない発言でも,聞いた側が肯定し,それに上乗せしていくことで話はいくらでも繋がっていく.そこから導けることは,言葉を発した人にとって他愛もない言葉からでも,他者の視点からはいくらでも新しい解釈,そしてひらめきを生む可能性がある,ということである.

 

 発想するということは,発言者が責任を取る必要はなく,そこからどのように「返し」を生み出すか,聞いた側の発想こそが実は重要であり,これらのゲームは,その反応の仕方に自分の態度が反映されるということ,その中関係性の中にこそ創造性があるのだということに気付かせてくれる.批判的な視点は何かを止めるためのブレーキとして必要になる場面もあるが,何かの新しいことの起点になるわけではない.発想する際に批判を加えるのは,アクセルとブレーキを同時に踏むようなものである.

 

 つぎに「質より量」.前の段落と関連するが,批判がブレーキだとすると,発散的思考がアクセルである.アイデアを生み出す際には,まずは発散的に量を沢山出す中で思いがけないヒントが生まれるものであり,質は数の中から選別されて育っていくものである.最初から省エネ的に出るものではなく,無駄から生まれていくという意味で,失敗を許容してつぎつぎ進めていこうというポジティブな雰囲気がアイデアの母体となると言える.

 

 最期に,「便乗発展」.サンキューゲームでは他人のポーズを肯定し,そこに便乗しつつも違った解釈を加えることで新しいシーン,新しい接続がつぎつぎと生まれていく.つまり,アイデアは単独で存在しているものではなく,何かと何かの関係として存在しているものだであることを示している.何かに便乗して発展させることは,目の前にあるものの文脈を捉え直すことでもあり,そういう姿勢は,新しい関係性を生み出すエンジンとなる.ブレストとはインプロは,人間の持つ創造性を活かした同根のものであるがゆえに,4つのキーワードは深く繋がったものとなるのである.

 

 また一方で,発想における"態度技法"としての面も欠かすことが出来ない.チームの中の存在として発想していくために,自分はどのように関わるのかの心的な状態を,インプロによって体験的に理解できることは大きい.発想するためには,他者の発言や投げかけに対して即応するという張り詰めた緊張感と,自身の内的な世界にアクセスするリラックス感という,相反するような状態を保つことが必要であることを知ることができるだろうし,そしてチーム内で共鳴し合うような心地よさを発見することが出来るだろう.

 

 こういった身体的な経験を持つことによって,会議のように多くのことに縛られた状態で行うブレストは,発想するという目的において根本的に違うということや,言葉だけを一人歩きさせずに,本当に新しい発想を生み出すためには,よりよい条件の中で行わなければ本来の意義を成さないということにも気づくこともできるのである.

 

 ただし,インプロを通しても,その人自身の中に無いことから新しいことを生み出すことはないことには留意しておきたい.当然であるが,知らない言葉や概念がひとりでに湧き出てくるわけではないのである.インプロは,その人の中にすでにあるもの,眠っているものを掘り起こし,融合させる手伝いをするのみである.

 

kmhr.hatenablog.com

 

人がメディアとなり,地域を語ること

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3月の11,12日は縁あって,家族で静岡の小山町という山間の街に一泊二日で滞在してきた.町が主導する実験的なホームステイ企画で,それぞれ手を挙げた受け入れ家庭と滞在希望家庭をマッチングして街に滞在してみるという試みである.表向きには家族旅行だけれども,同時にシェアリングエコノミーと着地型観光がミックスされたようなサービスデザインの実地調査でもある.

 

一泊二日の滞在をホームステイと呼べるのかはちょっとあやしいが,受け入れしてくださったOさん家族はとても親切にして下さり,そしてあちこち連れて行って下さってとても楽しい週末を過ごさせて頂いた.いろいろ良くして頂きすぎて恐縮してしまう面はあるにせよ,まったくの他人の家に泊めていただくのはなかなか珍しい経験だ.「なんでうちの家族をひきうけてくださったんですか?」と聞いてみたら,小さな男の子が2人いるのが決め手だったという.ちょうどOさん夫妻も同じぐらいの男の子のお孫さんが5人居て,いっしょに遊ばせると面白いかな,と思ったそう.ふむふむ,そういう選択基準で選ばれたりするのか.

 

地方が存在感を出すためには,知られるきっかけが必要だ.今の情報過多時代にはそれはなかなか難しいことで,従来行われてきたようなプロモーションの方法を越えて何をするのかはよく検討する必要がある.小山町の取り組みのように,街の中でホストファミリーを募って,その人達がメディアとなり街の魅力を伝えるというのは,スケールしにくくてもやっぱり正攻法なのだな,と思う.恥ずかしながら僕らは小山町のことを知らなかったが,たった一泊二日でもとても街を気に入ったし,いろんなエピソードを人に話したくなった.たぶん普通の観光ではこんな気持ちにならない.こういった企画は地域の人達が信頼しあっていないと実施できないことで,自分の街に誇りを持っていることがなによりも素晴らしいことである..

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Oさん夫妻とお子さん,お孫さん達とともに富士スピードウェイへ.偶然ながら50周年記念イベントを開催していて,まさかホームステイに行った先で無料でF1みれるとは夢にも思わなかったw 40年前の日本GPでジェームス・ハントが乗ったマクラーレンM23の実車が!ニキ・ラウダが乗ったフェラーリ 312T2が!男の子たちよりおじさんが興奮している.

car.watch.impress.co.jp

富士スピードウェイを地元の人達はいろいろな市民イベントで活用しているらしい.マラソン大会や,7時間耐久レースのママチャリ日本グランプリなど.

 

 

想像上の秩序

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読書メモ.



サピエンス全史ー文明の構造と人類の幸福ー」(上)
第6章 神話による社会の拡大

以下引用
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b. 想像上の秩序は私たちの欲望を形づくる
たいていの人は,自分たちの生活を支配している秩序が想像上のものであることを受け入れたがらないが,実際には誰もがすでに存在している想像上の秩序の中へと生まれてきて,その人の欲望は誕生時からその秩序の中で支配的な神話によって形づくられる.したがって,わたしたちの個人的欲望は,想像上の秩序にとってもっとも重要な砦となる.
<中略>
人々がごく個人的な欲望と思っているものさえ,たいていは想像上の秩序によってプログラムされている.たとえば,外国で休暇を過ごしたいという,ありふれた欲望について考えてみよう.この欲望には自然なところも明白なところも全くない.チンパンジーのアルファオスは,近隣のチンパンジーの集団の縄張りに出かけていって休暇に出かけるために自分の力を使おうとは絶対に思わないだろう.古代エジプトのエリート層は巨額の費用をかけてピラミッドを建設し,自分の亡骸をミイラにしたが,バビロンに買い物に行くことやフェニキアに休暇ででかけてスキーを楽しむことなど決して思い付かなかった.今日の人々が外国での休暇にたっぷり時間を注ぎ込むのはロマン主義的消費主義の神話を心の底から信奉しているからだ.
ロマン主義は人間としての自分の潜在能力を最大限発揮するためには,できるかぎり多くの異なる経験をしなくてはならない,と私たちに命じる.自らの束縛を解いて,多種多様な感情を味わい,様々な人間関係を試し,慣れ親しんだものとは異なるものを食べ,違う様式の音楽を鑑賞できるようにならなくではならないのだ.
これらすべてを一挙に行うには,決まり切った日常から脱出して,おなじみの状況をあとにし,遠方の土地に旅するのが一番で,そうした土地では他の人々との文化や匂い,味,規範を「経験」することができる.「新しい経験によって目を開かれ,人生が変わった」というロマン主義の神話を私たちは幾度となく耳にする.
消費主義は,幸せになるためにはできるかぎり多くの製品やサービスを消費しなくてはならない,とわたしたちに命じる.何かが欠けている,あるいはしっくりこない,と感じたら,おそらく私たちは製品(自動車,新しい服,自然食品)あるいはサービス(家事,対人関係療法,ヨガのクラス)を買ったり受けたりする必要がある.どのテレビのコマーシャルも何らかの製品あるいはサービスを消費すれば人生がよくなるという小さな神話なのだ.ロマン主義は多様性を奨励するので,消費主義と完璧に噛み合う.両者が融合して無限の「市場経験」が誕生し,その上に現代の観光産業が打ち立てられた.観光産業はたんに飛行機のチケットやホテルの部屋を売るのではない.経験を売るのだ.パリは都市ではなく,インドは国ではない.両者はともに経験であり,それを消費すればわたしたちの地平線が拡がり,人間としての私たちの可能性が満たされ,私たちはもっと幸せになれるはずだ.その結果,百万長者は妻との関係がぎくしゃくしたときにはパリの高価な旅に連れて行く.その旅は何か独立した欲望の反映ではなく,むしろロマン主義的消費主義の神話を熱烈に信奉する気持ちの反映だ.
<中略>
想像上の秩序から逃れる方法はない.監獄の壁を打ち壊して自由にむかって脱出したとき,じつはわたしたちはより大きな監獄の,より大きな運動場に走り込んでいるわけだ.
(p148-149)

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我々が無自覚に使いがちな「経験」という語を背後から支えている価値観に対するなかなか辛辣な描写.旅の経験にせよ.民主主義や資本主義にせよ,それらの秩序が人々に信じさせるためには,それが想像上のものだとは決して認めてはいけないし,その虚構を信じることができたからこそサピエンスはここまで繁栄した,とユヴァルは言う.このなんだか夢から無理矢理醒めさせられるような読後感は,エイドリアン・フォーティの「欲望のオブジェ」を思い出させる.

 

 

 

 

【ワークショップ参加者募集】デザイン実験の場を構想するためのダイアログゲーム

 

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昨年,デザイン実験の場を構想するための対話ゲームの試作版を作りました.欧州や北米で盛んなリビングラボの視点を取り入れ,専門家と参加者がゲーム的に楽しく対話しながら協働のデザインの場作りに必要なことを学習し,発想していくものです.ですが,ワークショップ等で使う機会が少ないため,改善していくためのフィードバックをなかなか得ることができていません.そういうわけで,今回は株式会社ACTANTのイベントACTANT FRIDAYの場をお借りして,試験的に小規模なワークショップを実施してみたいと思います.CoDesignに御関心をお持ちの方,どなたかご協力いただけないでしょうか.このキットはまだプロトタイプですので,いろいろと足りない点もあるかとおもいます.どうしたらもっと面白くなるかをいっしょに考えて下さる方を希望します.


■日時
2017年3月24日(金) 18:00~20:00

■場所
株式会社ACTANT
東京都渋谷区神宮前2-18-3 元吉ビル201
(JR原宿駅or地下鉄明治神宮前から徒歩10分)

■参加費
無料(ドリンク類提供)


■題材
「託児施設を活用したラボの構想」です.
一時的に預けられた子供達を,ただ時間つぶしに遊ばせるのではなくてプロダクトやサービス開発のコ・クリエイターと位置づけられないか,というテーマです.テーマを自分たちの身近なところから発想するバージョンは,過去に産技大人間中心デザインプログラムの「デザイン態度論」にてトライしましたので,今回は対象が決まったテーマの場合にどのように機能するかを試してみたいと考えています.

■募集人数
4〜8名
上記題材に関心のある方ならどなたでも可です.
応募者多数の場合は抽選とさせていただきます.

■応募方法
 
上平までメール kamihira@isc.senshu-u.ac.jp (※@を半角に変えてください)

でお申し込みをお願いします.各種SNSでのメッセージでもかまいません,


道具は人の気持ちを変える

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学内にて。桃の花かと思って近付いたら、どうやら梅の花のよう。

GRをポケットに入れるようになったら、目に入る自然を観察するのがちょっと楽しくなってきた。

いいカメラを手に入れると散歩したくなる。人は道具によっても変わる。

手間暇とバランス

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今日は終日学部内の会議とミーティング。同僚とランチしながら研究と教育のバランスをいかにとるかの話になった。業績をあげるためには時間確保は重要なポイントになるのでみんな考えるところがあるようだ。

 

昔聞いた、工学部の実験の話で印象に残ったことがある。難関大の学生たちは自分で考えたがるので、あまり細かいことは指示しないほうがよくて、そこから(世間一般でいう)難易度が下がるにつれて「あれをやって」「これを記述して」「何文字書いて」という手順などのインストラクションが増え、変数は減っていくという話。美術系の演習でも当てはまるし、広義には義務教育でも当てはまると言える。誤解の無いように強調すると、これは能力差や指示の量に対する是非ではなくて、目の前にいる学習者一人一人の発達に応じて適切なハードルが設定されるべきだよね、という話だった。ちなみに例えば教育困難校などの場合は教員の負担が大きいのは事実だろうが、優秀な学生がそろう学校の教員も決して楽という訳ではない。

 

↓某名門中学教諭のあすこま先生のつぶやきより

 

これは怖いw 教員も人間なので自分の能力にみあわない場にいるとすると、ストレス半端ないことになる。

 

われわれの大学の場合は、指示された要件はちゃんと守って真面目に取り組む学生がほとんどだが、その先の"創造的に思考する"部分にはそれなりに手間暇がかかるため、僕も同僚達もみなその部分にはかなり時間がかかっている(PBLのような答えの用意されてない取り組みしているところはどこも似た問題を抱えているだろう)。そこで教員は、自分の研究と教育を近づけるか切り分けるか、のジレンマを抱えることになる。

 

僕は去年、学外に呼び出されることが多くて学生と関われる時間をあまりとれず、それがやはり学生達の志気に跳ね返ったことを反省して「来年はもうちょっと一緒に考えよう」というモードなのだが、ある先生は学生対応で疲れ果ててて「もう学生と一緒にやるのはやめとこう」というモードになっている・・・というのが今日の話題。

 

みんな大変なのだ。そんな中で日本のあちこちの大学で学生達と活発なプロジェクトの実績を残している先生方は本当にすごいとおもう。常葉大の安武先生、実践女子大の松下先生はじめ、各大学の先生方、頭が下がります。

 

 

 

個人的な知識はいかに管理できるのか

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一昨年、コペンハーゲンビジネススクールで友人のlianaと議論したときに、「パーソナル・ナレッジ・マネジメント」という言葉を教えてもらった。個人情報(電話番号やパスワード)などではなくて、もうすこし経験則も入ったやり方やテクニックなどの実践的なものが該当する。

組織の中での知識管理については、それぞれ決まり事をつくって他人が分かるように共有できるように努力することは普通だし、経営学の分野でも多く議論されているが、個人的なものはそもそも共有されないし、ちゃんと管理する習慣をもっている真面目な人はたぶんそこまで多くない。なのでみんなそれぞれ属人的な方法で解決していると思う。日々の生活ではあまり意識されないが、パーソナルコンピュータが普及して20年以上経ち、どんどん物忘れが激しくなっていく我々中年はだんだん膨大な過去の自分の知識にどう対処するか、という問題と向き合わざるを得なくなっている。

 

例えば、

1)増え続けるメールや写真データをどのように管理するか。外部記憶装置に保存しっぱなしではなく、取り出したい状況でただちに取り出せるような方法をつくるか。

 

2)ネットで購入した本やモノなど、購入したきっかけや文脈などを思い出せるようにするか。「これは、たしかだれかが薦めていたのでぽちった気がするんだけど・・・何で見たんだっけ?思い出せない・・・」と苦しんだことがある人は、僕だけではないはずだ。リアル店舗の買い物は体感した分手がかりが残ることも多いが、ネットショップは注文履歴しかのこっていない。

 

3)仕事の自分用メモ(例えばなにか作ったものの制作物のレシピや、ソフトや機材のパラメータや設定などの記録)をちゃんと記録を残せるか、忘れた後でもすぐに引っ張り出せるようにするか。

 

4)テキスト検索できない情報(たとえば顔は思い出せるがどうしても名前を思い出せない知人のメールアドレス)をいかにして見つけるか。

 

などなど。リチャード・ソール・ワーマンが唱えた情報の整理整頓や見つけ方はいまや専門家だけでなく個人でも必要になっていることがわかる。考えてみれば若者達はこの先およそ50年分以上の個人データや知識の管理と向かい合わなければならないわけだ。他人が干渉しえない領域だから誰も助けてくれないし、誰にも指摘されないだろうけども、みんなどうやっていくんだろうね。

 

あと、今はSNSが発達して、いろんなネットワークが個人を拡張して共有されている分、人間関係のメンテナンスはめんどくなっている気がする。この間、とある人が恋人と分かれたそうなので、(酒飲みながら)「分かれた後でもお互いSNSでそれぞれが何しているかが見えてしまうことに、どう対処しているのか」という疑問について聞いてみたのだが、やはり簡単に割り切れない葛藤があるようだった。いろんなことがITによって便利になっているけど、我々の脳の感情的な部分も総容量も、一日で使える時間も、友人に会える時間も増えているわけではない。目に見えにくい歪みはそれぞれの個人の中でどんどん大きくなっている。