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みえないものを、みる視点。

ACTANTにJoinしました

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友人の南部さんが率いるサービスデザインのコンサルティング会社のパートナーになりました.大学での業務はそのまま続けますので,時間を割くことはなかなか難しいですが,並行して参加していきたいと考えています.

 

actant.jp

なんでまたいきなり,と僕を知る人には思われるかも知れませんが,ここのところコンサルティングのような形で企業や自治体から依頼を受けることも増えており,仕事として受ける場合の諸問題に困っていました.そういうわけでビジネス面でのパートナーがいることは心強いことです.これで研究として見出したことをビジネス的に展開できる可能性もぐっと高まりました.

 

なにより,ACTANTは南部さんや武山先生はじめ,少数精鋭の優秀なメンバーが揃っており,彼らと仲間として議論出来ることはとても刺激的なことです.社名のACTANTとはラトゥールのアクターネットワーク理論に由来しています.南部さんの熱い文章からも,彼らが何を目指しているのかが見えてくると思います.

 

actant.jp

ANT の特徴は、あらゆるネットワークを常に揺れ動く動的な状態として捉える点にあります。アクター同士は独特の方法でお互いに影響を与えあっていて、社 会的なネットワークそのものはアクターの行為やつながりがもとになって、常に生成されていくものとして分析される。

 

また、同じアクターであっても、異なる プロセスや文脈においては異なる機能を持つこともあり得る。つまり、ネットワークは有機的な存在であり、空間軸と時間軸を同時に持ったダイナミックなモデ ルとして考えることができます。

 

一番の大きな特徴は、その有機的なネットワークを構成する要素として、アクター=人間だけでなく、動物や自然、あるいは人 工物といったモノの世界も対等に扱う点にあるでしょう。

 

西欧的な考え方においては、人(主体)とモノ(客体)は、お互い決して相容れないものであり、人が モノに従属したり、モノが人を従属させたりすることは否定されてきました。人とモノとの協働性や相互浸透性が正面から論じられることはありませんでした。

 

対して、あらゆる境界を柔軟に考えるANTでは、モノは行為主体であり、周囲に影響を与える中心的な存在として論じられます。

 

ACTANTという社名には、ラトゥールが目指したことを敷衍しつつ、近代デザインの枠組みを批判しながら、もう少し妥当なデザインの枠組みを構築できればいいな、という思いが込めてあります。

 

換言すると、近代デザインを乗り越えた先にあるデザイン的なるものの実践を、営利活動として健全に成り立たせながら取り組んでいく、ということが弊社の目標であるともいえます。

 

未だ形になっていない領域の評価軸や型は未だどこにも存在していません。そのため、弊社では、短期的なクライアントワークでは取り組むことが難しい研究開発的な側面も重視しています。

 

 

忙しい日々ですが,長期的な視点を育むためにも,自分自身の毎日の中にデザインの問題を多角的に捉えられる環境を構築していくことは重要です.大学での教育だけでなく彼らとのシナジーも大事にしたいと思います.

 

 

デザインとは,誰がするもの? 

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大学の父母組織向け冊子のコンテンツ「知的好奇心いろいろ」というシリーズで,専門分野についての紹介の依頼があって寄稿しました.冊子だとだれも読まない気もしますので,ここにも転載します.

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デザインとは,誰がするもの? 
CoDesign:もうひとつの北欧デザインの潮流

 

 

みんながデザインに関わる時代
ここ最近,デザインに対する捉え方が変化しているのをご存じでしょうか.10年ほど前までは「デザインはデザイナーがするもの」という見方が支配的でした.美術学校でクリエイティブな訓練を受けた才能ある人が行う特別な仕事として捉えられていたわけです.しかしながら,デザインとは,問題を発見してそれに対する創造的な解を生みだし,それを具体化すること.今ではそんな広義の解釈が拡がり,多くの社会の現場でその有用性が知られるようになりつつあります.その考え方や方法は誰でも使えて身近な問題に適用できます.今や世界中のビジネスコンサルタントや医療関係者もデザインに取り組んでいる時代です.


ゴミ箱をめぐるデザイン
多くの人が関わりはじめたことは喜ばしいことですが,その一方でデザインの問題は複雑化してきました.デザイナーは決して魔法使いではないので,個人では対処することが難しいことも増えています.
身近な例として,オフィスのゴミ箱を題材に考えてみましょう.例えば「ゴミ箱の形をデザインする」というシンプルな問題として捉えれば,デザイナーが低コストで美しいプロダクトを創り出すかもしれません.ところがこれはよく考えれば厄介な問題です.オフィスのゴミは事業系ゴミであり,通常の家庭ゴミのように自治体の収集ではなく民間業者に委託しなくてはなりません.ゴミ箱の大きさはゴミの量だけでなく,回収の頻度と関係してきます.ゴミ箱のサイズを勝手に決めるわけにはいきません.またゴミを集めている人はどうやって回収して掃除しているのでしょうか.中身を取り出すのが難しい仕組みを勝手に取り入れてしまうと,清掃員の方々に気の毒なことです.清掃員はゴミ回収という仕組みを持続させるための重要な役割を担っています.また分別の動機付けはどうすればいいのでしょうか.人々が積極的に分別させるためには,めんどくさがり屋の心理も考慮しなくてはなりません.さらに分別すべきと思っていても,みんなが間違えるならば,設置の方法や表示が失敗している可能性があります.間違わないためには,人間の認知の仕組みをよく考慮する必要があります.そもそもゴミ箱の中のゴミをひとつひとつ観察してみると,まだ使えるものがゴミになってしまう状況やゴミが出るようなパッケージそのものにも疑問がでてきます.そう考えていくと,たかが(?)ゴミ箱といえども社会的な問題が絡み合った非常に複雑な仕組みの問題であることが見えてくるかと思います.つまり,よりよい本質的なデザインの解をめざすならば,色や形といった目に見えやすいことからもっと踏み込んで問題を捉え直す必要がありますし.そのためには関係する人々の視点や活動を取り込むことが大きな意味をもってきます.

 

CoDesign:社会の人々と共にデザインする
人々の力を集めながら組織的にデザインのプロセスを進めていこうとするアプローチは、Co-Design(参加型デザイン)と呼ばれています.人々はただ使う「ユーザー」ではなくデザインの「パートナー」であるという考え方です.私はもともとグラフィックデザイナーですが,こういったデザインをとりまく行為者や創造的な環境に関心を持ち,当事者の視点やプロの支援などの役割分担を活かしたもっとよい共同体の仕組みをつくれないか,ということを目指して研究を行っています.
2015年度には在外研究としてデンマークに滞在し,CoDesignの調査研究を行いました.北欧デザインというと,一般的には高品質なインテリアデザインがよく知られていますが,もうひとつ,デンマークは福祉大国ならではのカルチャーを活かしたCoDesignの発祥の地であり,今でも先進的な試みがたくさん行われている拠点です.1年の間,フィールドワークを重ねて沢山の事例を調べましたが,高齢者や障害者,子供たちなど,通常は除外されがちな立場の人々にも耳を傾けてじっくりと対話し,デザインに効果的に巻き込んでいく姿勢や,それぞれが持っている個別の資源を無駄にしないで,軽やかに連携したエレガントな仕組みが街のすみずみに浸透していました.そして社会の人々が協同でデザインする文化的な厚みが,結果的に世界で最も高い幸福度に繋がっていることを痛感しました.

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(写真1)デンマークのある小学校の校舎につけられた滑り台。子供たちが出した遊び心あるアイデアを建築家が実現した。

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(写真2)デンマークの老人ホームにて。高齢者向けのスキルシェアリングサービスのデザインパートナーとして開発に参加している高齢者のチーム


日本における展開?

さて,CoDesignの考え方は日本社会に適しているのでしょうか.日本は伝統的にタテ社会で,それぞれの領域を守り謙譲することが美徳ですから,フラットに対話するのはなかなか難しそうです.そして社会心理学の知見によると,日本人が顔なじみでない他者一般を信頼する割合は,世界の中でも極めて低いそうです.残念ながら,我々の民族特性は,CoDesignに必要なマインドセットとは真逆のようにも思えます.
その一方で,現在のグローバル化が加速する社会においては,既存の枠組みを壊して再構成することが重要になってきています.例えば最近のサービスの成功事例であるアメリカ発のUberAirBnBなどのシェアリングサービスは,他人同士で連携し余っているリソースを共有していくことが特徴のサービスです.また,この先日本では労働人口が縮小する中で外国人の人々と一緒に共同体をつくることも増えてくるでしょう.そういう異なるモノが混ざり合ってイノベーションを生みだしている世界の潮流の中において,我々は無関心のままでいられるでしょうか.

ひとつの期待として考えているのは,「モノやコトは,人の体験や行動を変える」ということです.丸いテーブルはインフォーマルな会話を活性化しますし,いいカメラを買うと散歩することが楽しくなります.同じようにCoDesignのアプローチも,それを実践しながら我々の社会がもっと協力し合える社会になることに貢献できるのではないかと思っています.デザインを身近に感じるためにももっと楽しくデザインに関わる体験が必要です.私が日本でCoDesignのような試みを行っているのは,デザインによって日本人のマインドセットを変えつつ,いい社会をつくっていくことができないか,という自分の小さな挑戦でもあります.

改めて歴史から学ぶ

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マット・リドレーの「繁栄―明日を切り拓くための人類10万年史という本を読んでいて,興味深かったのでメモ.彼によると,人間がここまで繁栄した理由は,「分業」と「交換」によるという.

 


交換が難しくなれば,人間は専門化を弱めるので人口が増加しなくても人口危機につながる恐れがある.マルサスのいう危機は,人口増加の結果として直接生じるのではなく,専門化の衰退によって起こるのだ.自給自足の高まりは文明が抑圧されている微候であり生活水準低下の尺度である.1800年まですべての経済成長がこうして終わっている.すなわちエリート層による捕食または農業の収穫逓減に起因する部分的な自給自足への回帰である.

 <中略>


1600年代,日本は比較的裕福で高度な文化を持つ国であり,フランスとスペインをあわせたくらいの人口を擁し,紙製品,綿織物,武器を中心とする製造業が強く,製品の大半が輸出用だった.1592年,日本人はポルトガル人が設計したものを複製した国産の火縄銃を何万挺も携えて朝鮮に侵略している.にもかからわず,日本の経済は農業が中心で羊や山羊が群れを成し,たくさんの豚が飼われ,牛もいれば相当数も馬もいた.犂(すき)は牛が引くモノも馬が引くものも一般的に使われていた.


ところが1800年代までに飼い慣らされた家畜は事実上消えてしまった.羊や山羊はほとんどみかけられず,馬と牛も非常に珍しく,豚でさえもその数はわずかだ.1880年に旅行家のイザベラ・バードがこう述べている,「乳を搾るための動物も,荷を引くための動物も食用にするための動物もいないうえ,牧草地もないので,田園地帯も農家の庭も妙に静かで活気がないよう見える」馬車も荷車も(手押し車さえも)ほとんどない.そのかわり輸送に必要な力は人間が提供し,肩に担いだ棒にぶら下げたり,背負子にくくりつけたりして品物を運んでいる.水車の技術は昔から知られていたにもかかわらずほとんど使われていない.米を脱穀したり搗いたりするのは臼と杵とか,石の重りがついた踏み子で動かすはねハンマーが用いられる.江戸のような都市でも米搗き人が衝立のむこうで裸になり,ときには何時間もせっせと米を搗く音が聞こえてきた.水田に必要な灌漑用のポンプは日雇い労働者が足踏みで動かしている.ヨーロッパ人が動物と水と風の力を利用していたのに対し,日本人は人力で仕事していたのだ.


どうやら1700年から1800年のあいだに,日本人は集団で犂(すき)を捨てて鍬を選んだようだ.その理由は役畜よりも人間の方が安く使えたことにある.当時は人口急増の時代であり,それを実現したのは生産性の高い水田だった.水田は窒素を固定できる水中の藍藻のおかげで自然に肥沃になれるので肥料がほとんど必要ない.(ただし人間の糞尿はこつこつ集められ,慎重に保管され念入りに土に施されていた)豊富な食糧と衛生に対する入念な取り組みのおかげで日本の人口は急増し,土地は不足したが労働力は安かったので犂をひく牛馬に食べさせる牧草を育てるための貴重な農地を使うよりも,人間の労働力をつかって土地を耕す方が文字通り経済的である状態に達した.そうして日本人は自給自足を強め,見事なまでに技術と交易から手を引き,商人を必要としなくなってあらゆる技術の市場が衰退した.

(第6章 18世紀 日本の勤勉革命より)

 

日本に起こった勤勉革命の別の見方.最近,自給自足したがる人が増えているのは,この見方からすればあまり良い傾向ではないのかもしれないね.

 

 

 

 

美術館を社会に開く試み:オープンミュージアムプロジェクト

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縁あって、今年は研究室で川崎市岡本太郎美術館のアートプロジェクトに参加している。市民を巻き込んだアートのワークショップをやるにしても、美術館の中で制作して美術館の中で展示するのではなく、積極的に社会の中に出て行こう、というもの。

こういったアート活動はアーティストだけで成立するモノでもなく、いろんな役割が必要になる。我々の研究室の役割は、アートワークショップと地域住民が出会うきっかけやコミュニケーションのデザイン。何人かの学生が卒業制作のテーマにもしてくれたので、大きな力になりそうだ。

 

ちなみに岡本太郎美術館とうちの大学はめちゃくちゃ近くて、地図で見るとこんな感じ。

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でありながら、あまり連携は盛んでなかったが、今回はこの企画のプロデューサでもある、モリワキヒロユキさん(メディアアーティスト/ 多摩美准教授)が声をかけてくださって一緒に関わることになった。モリワキさんはライトアートや種子島宇宙芸術祭の運営で活躍されていて僕の大学院時代の先輩にあたる方。ちなみに紅白で小林幸子が電飾衣装を取り入れ始めた頃の演出は森脇さんの仕事である。

 

まだディスカッションベースだけど、これまで地域で実践してきた過去の活動がいろいろ繋がってきて、楽しい。秋のアートシーズンに向けて鋭意準備中である。

 

http://www.taromuseum.jp/

 

かわさきコンフィズリープロジェクト

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僕がチーフとして担当している2年生向けのIxD基礎演習は、多様なプログラムの履修者が130名近くいて、4クラスで同時展開するという教員も学生もヘビーな演習である。

この演習で、今年は製菓会社のブールミッシュさんとのコラボ企画を進めている。地域性を持ったコンフィズリー(砂糖菓子)の中に埋め込まれた体験をデザインするというもので、単なる商品企画というよりは、パッケージ+インタラクションをふくめて、食べることを介したストーリーテリングに着目しているところがポイントである。

 

ちなみに企画とパッケージはグループで行い、プロモーション用のWebサイトは個人で実装するという二重の課題である。我々は情報学部なので、デザインするだけじゃなくて実装技術はちゃんと全員習得しなきゃ、ということで。

 

さて、ブールミッシュさんといえば日本中に100店舗以上展開する高級スイーツのショップで、社長の吉田菊次郎さんは有名パティシエとして知られ、NHKの朝ドラの技術指導もされている方。どんな接点でコラボしているのか、というのは関心もたれるかもしれないので、ちょっと書いておきたい。

 

話は4年前のことに遡る。吉田さんは、4年前のこの演習の前身の課題で「MY ROLE かわさきの食をつくる人々」のインタビュー集を作ったときに、学生達の取材に協力して下さった。

http://blog.kmhr-lab.com/photo/IMG_7336.jpg

MY ROLE 2012 が出来ました - kamihira_log

それは大学と社会の新しい関係性を探ることでもある。学生が取材に行くだけでは、学習に協力してもらうという(よくある)関係で終わりがちである。そうで はなく、学生からも社会人に向けてプレゼントを送り届けるような、お互いにとって嬉しい相互贈与関係が作れれば、より幸せなかたちで関わることができるの ではないか。そして、その関係性を誰でも取り組めるような仕組みに落として発信していくことで、おおげさに社会変革を唱えなくても、埋もれている小さな価 値を改めて見直していけるような、ささやかなきっかけになるのではないか。この試みの背景には、そんな願いがある。 

 (上平の序文より)

 

 

その時に贈呈した本を大変評価して下さり、「何冊か頂けないか」とご希望され何度か電話とメールでやりとりした。それがきっかけで、「私にできることなら協力するよ」と演習へのご協力を約束して下さった次第である。こちらから「ギブ」できることがあったことで、それをもとにして4年後に新しい接点ができたわけで、感謝の気持ちを感じるとともに、演習で御世話になる方との関係は大事にしよう、と改めて思わされた。

 

そういうわけで、帰国早々、このコラボを活かした課題準備を急ピッチで進めてきたわけであるが、最初は既成商品で代用した架空の商品のつもりだったのが、パティシエの村松さん(ブールミッシュ製菓アカデミー主任講師)が何度も実験重ねて、ムーンライト(大学の最寄りの小田急向ヶ丘遊園駅近くにあるビール醸造所)さんのクラフトビールを使ったギモーヴ(フランス風マシュマロ)を新しく開発してくださった。

 

僕がでっちあげた(架空の地域食材をもちいた)ギモーヴを、プロの手で実現して下さるとは、これにはもう、感謝しかない。

 

そしてなんとか5/23には学生たちに試食会を行うことができた。ビア・ギモーヴは黒ビールのコクをピリリとひきしめる粒胡椒の刺激が新感覚で、とても美味しかった。こんなお菓子も存在するのか、ととても驚かされた。

 

短い演習時間だが、いい成果物ができるように、学生達に頑張ってもらいたいところである。

 

www.boulmich.co.jp

 

 

社会人向けの「Xデザイン学校」がまもなく開校

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お世話になっている山崎先生と浅野先生による社会人向けデザインスクール,Xデザイン学校が開校します.微力ながら僕もお手伝い予定です.御関心をお持ちの方,どうぞよろしくお願いします。もうすぐ説明会があるそうです.

 

Xデザイン学校では、ユーザー体験、人間中心設計、デザイン思考、サービスデザインなどを基礎にしながら、誰でもがデザインを活用する社会に向けてのデザ インの学びと研究を推進します。講師には、この学校に賛同してくれる最新の実践や研究を推進している方に協力してもらい、情報デザインフォーラム、 HCD-Net、各地のUXコミュニティなどとも連携しながら、この分野で日本で最高の学びと研究を目指していきます。

まずは2016年度は「Xデザイン学校(英語名 X Design Academy)β」として、「未来の学校」のプロトタイプを開始します。

これまでのスクールやセミナーと異なるのは、「未来の学校体験」の実験として、研究室のゼミのように、学生同士と教員が密接なつながりをもつ体験 を目指します。そのための教育内容、教育環境やコミュニティも大事にしていく予定です。また、学校に入学する前、入学してから、卒業した後の長期の時間を 考慮した育成を行います。例えば、学ぶ、実践する、研究する、教えるのを手伝う、教える側になることも考えています。

5月28日(土)の「Xデザイン学校・説明会」では、最初に、 「社会人の学び」 について、日野隆史氏と山崎和彦氏により話題を提供していただき、Xデザイン学校と入学申込み手続きについて説明をします。また、そのあとは希望により個 人相談もいたします。このXデザイン学校に興味がある方は、ぜひご参加ください。また、当日に参加できない方は、Xデザイン学校の説明資料は、 Facebookグループ「Xデザイン学校」に公開いたしますので、ご参照ください。

5月28日 Xデザイン学校・説明会

 

謎のパワフル・タイポグラフィ

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グラフィックデザインの授業スライドで、例年クリーニング屋の看板を集めて紹介しています。なぜかわかりませんが、クリーニング屋はあちこちで妙にどぎついタイポグラフィが独自進化していて、謎のパワーを放っているわけです。日本に帰ってきて、ますますこういった不思議なデザインを観察することがおもしろくなりました。

価値観は変わっていく

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ちょっとづつメモを残しておこう。

先日情報デザインフォーラムで喋ろうかとちょっとだけ迷ったネタなのだが、パパネックは1962年に、インドネシアの貧しい人々のためにラジオをデザインした。空き缶を再利用したもので、家畜の糞を乾燥させたものを燃やしてエネルギーに変換する。現地の人々がDIYで作れる。これをパパネックが、かのウルム造形大学において講演した際に紹介した。すると教授陣は「こんなものはデザインじゃない」と全員椅子を蹴立てて帰ってしまったが、学生はみんな目を輝かして誰も席を立たなかったという話。

いつの時代も若者の方が時代の先に反応できるんだな。そしてそのことは自分にとってちょっと希望なのです。

 

 

www.forbes.com

【5/20(金)開催】Educe Cafe「北欧の創造性を支える学びのエコシステム ―幼稚園児との長い旅から―」

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Educe Cafeにてトークの機会を頂きました。御関心をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひお越し下さい。

 

「北欧の創造性を支える学びのエコシステム ―幼稚園児との長い旅から―」

日時:2016年5月20日 18:00〜

場所:東京大学本郷キャンパス 情報学環・福武ホール スタジオ1

ゲスト:上平崇仁 ホスト:森玲奈

デンマークは高負担高福祉政策によって国民の”平等”が根付いていながら、国際競争力の高さを併せ持つという不思議な国です。1年間のデンマーク滞在にお いて、4 歳児と1歳児と共に現地の幼稚園に通い、デンマークの子供達の学習環境を観察したり人々と交流したりする中で、彼らが形作っている社会の仕組みや、そこに おける光と影が少しづつ見えてきたと上平さんは言います。今回は、上平さんが滞在中に子供と経験したこと、デンマークの小さな街にあるデザイン教育に特化 したデザイン幼稚園、地域のこどもたちを巻き込んだルイジアナ美術館の建築プロジェクト、スウェーデン南端の街マルメにある廃材を利用した造形センターな どのユニークな事例をもとに、こどもたちのクリエイティビティを高める学びの場を形成している社会のエコシステムを読み解いてみます。またこれらの遠い国 の取り組みを参照しながら、我々の日本社会においてはどのようにデザインできるのか、をフロアの方とディスカッションできればと思います。

 

詳細、申し込みはこちらです。

harinezuminomori.net

 

もうひとつ、情報デザインフォーラムでも講演します。こちらはすでに満席ですが、時々キャンセルでていますので、席が空いている場合にはチケットを購入できるようです。

peatix.com

題目「デモクラティックデザインとその実験精神—もうひとつの北欧デザインから学んだこと—」

日時:2016年5月8日 13:00〜

場所:Yahoo!JAPAN 本社(東京ミッドタウン

 

 

 

 

 

 

 

無事に戻りました

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研究室の前の桜が満開です。

 

今週より日本に戻ってきて、到着翌日からさっそく仕事に復帰しています。たくさん得たインプットを活かせるように頑張りたいところです。

 

さて、このブログはどうするのかという問題ですが、しばし思案中です。新学期でかなり仕事が多い多い時期なので当分時間はとれなさそうですが、自分にとってSNSよりは書きやすいこともわかったので、なにか書きたくなったら書くつもりでいます。